平和地蔵

太平洋戦争末期(昭和20年4月)、米軍の爆撃により避難場所が直撃を受け、その中に
いた赤ちゃんを含む23人の方が犠牲となりました。戦後昭和34年に、これらの方々の
冥福を祈り、二度と戦争の悲劇を起こさぬという誓いの元に、地元の人々によって建立
され『千駄木平和地蔵』と名づけられました。